袴田事件は、とても長期に渡り捜査や裁判を繰り返した有名な事件は皆さんもご存知かと思います。
なぜ、疑われたのか?事件当時に袴田巌(はかまだ いわお)さんは、アリバイがなかったこと、事件後に左手中指を怪我していたこと、押収された袴田さんのパジャマから微量の血液とガソリンが検出されたことを理由に逮捕されたようです。
詳細は沢山の記事がありますのでここでは大まかではありますが、短く調べてまとめてみました。
袴田巌さんはなぜ疑われのか?
1966年に静岡県でこがね味噌の会社の一家4人(専務(41)、妻(38)、次女(17)、長男(14))が殺害された上、集金袋が奪われ放火される事件が起きました。
長女の昌子さんだけが別棟で眠っていたので、事件に巻き込まれなかったようです。
同社の従業員であり元プロボクサーであった袴田さんが犯人とされ逮捕となりました。
逮捕となった理由
- アリバイがなかったこと
- 事件後に左手中指を怪我していたこと
- 押収された袴田巌さんのパジャマから微量の血液とガソリンが検出されたこと
逮捕された後、自白をした結果後に死刑が確定したようです。
なぜ自白してしまったのか?
逮捕後のに袴田さんは事件の否定をし続けました。
その一つに「寮で寝ていて、(被害者宅が)火事と聞き消火活動をした。トタン屋根で手を切った。」と言っていたようです。
自白となった大まかな理由
- 約430時間という取り調べの時間
- 警察官数人から何度も棍棒で殴られた
- 意図的な睡眠障害で体力的にも精神的にも追いやられた
- 科学的な証拠があると言って罪を認めるように迫った
- 取調室に便器を持ち込んで尿をさせた
- 体調を崩しても取り調べを続けた
- 弁護士との接見を自白するまでの3回だけの一回が15分未満だった
袴田さんは追い詰められ自白という形になったようです。
なぜ、死刑になったのか?
袴田さんは無罪を主張していましたが、初公判から約9ヶ月後に工場のみそタンク内から血のついた衣類5点が見つかった。
1審の静岡地裁は、45通の調書のうち44通は自白を捜査官に強要された疑いがあり証拠としては認めなかったものの衣類5点を有罪の証拠とし死刑判決を言い渡しました。
この衣類のズボンは、着用実験で入らなかったにもかかわらず『味噌で縮んで勾留中に太った』として死刑を維持した。
最高裁でも覆らず、1980年に確定した。
58年後の再審無罪!
再審無罪へと導いたのは衣類の5点だった。
血染めの衣類で再現実験を行い、味噌漬けにした衣類は1年以上漬かれば血液が黒く変色した。
証拠とされた衣類の赤みのある血液ではないことが判明したことで東京高裁は最終的に、捜査機関の捏造の可能性が極めて高いと指摘した。
2024年9月26日に静岡地裁は無罪を言い渡した。
しかし、裁判長の言葉の中に検察は控訴する余地があること、それで審理は続く可能性があること、無罪が確定しないと意味がないことを言われたようです。
これまでの経緯
事件発生から現在まで
- 1996年6月30日 事件発生
- 1966年8月18日 袴田さん逮捕
- 1968年9月11日 静岡地裁が死刑判決した
- 1976年5月18日 東京高裁が控訴を棄却した
- 1980年12月12日 最高裁が上告退け死刑確定した
- 1981年4月20日 1回目の再審請求した
- 2008年3月24日 最高裁が再審請求を棄却した
- 2008年4月25日 2回目の再審請求した ー弁護団が新事実を明らかにした
- 2014年3月27日 静岡地裁が再審開始が決定した ー保釈が認められた
- 2018年6月11日 東京高裁が再審開始を棄却した
- 2020年12月22日 最高裁判所から高裁へ審理が差し戻された
- 2023年3月13日 東京高裁が再審開始の決定した
- 2023年3月20日 検察側は最高裁への特別抗告を断念した ーこれによって再審が確定した
- 2024年9月26日 静岡地裁が無罪決定した
静岡地裁が無罪と判断した理由
- 衣類の5点は、発見時期に近い時期に捏造されたものと判断したこと
- 任意性を認めていた1通の調書についても虚偽の自白を誘発によって得られたと判断したこと
- ズボンに切れ端の布についても捏造されたものと判断したこと
この3つが理由として言われているようです。
まとめ
袴田さんが再審にて無罪となったわけですが、もし今後無罪決定がなされた時は、どれだけの時間と精神的なものが大変だったかと思うとなんとも言えない気持ちになりますね。
そして、無罪が決定することがあれば別の犯人がいるということにもなりま複雑な気持ちにもなりますね。
袴田さんは、当時30歳から88歳の高齢になってきており、生きているうちに決定してほしいものです。